「一騎?入るぞ」



乙姫を見送った後、また来てくれたのだろう。


中の様子を見て駆け寄った。



「苦しいのか!?」



ふるふると頭を振って乾いた唇でだいじょうぶ、と告げた。



「そうか…」



しかし総士には解った。



もう、ここまでかと。





限界は、もう限界まで来ていて。




思い切った様に口火を切った。



「歩いて五分位の所に、今は使われていない廃屋がある」




それは何時かの約束の合図。



「五分…」

「心配するな。僕が運ぶ」




もう長いこと病院から出たことがないので、自分の筋力の衰え、運動の限界は理解していた。



「ありがと」

「気にするな…最近まで人が住んでいたようだから、水は出ると思う」

「そっか」

「薬は…」



どうしたものか、と少し息を吐くと一騎が手を挙げた。



「俺にまかせて」

「大丈夫か?」

「総士がうろうろしてる方が怪しいよ」




明るく笑ってその挙げた手を振った。



「そうだが…」

「俺なら、大丈夫。昼食時は大概皆いないし…居たとしても何とかなるよ」

「そうか?…じゃあまかせた」

「おう」

「それと…」

「ん?」




少し言いにくそうにポケットに手を入れた。



「これ、一騎に」

「なんだ?」



ちいさな箱を出して、ぱかっと蓋を開けた。








「真壁一騎さん、適齢期前ですが僕と結婚してください」

「…な、そ……ぇ?」




信じられないと、目を見開く一騎の左手にそっと指輪をはめた。

シンプルなもの。それは前に乙姫に預けた両親のものと酷く似ていて。



「俺で…いいのか?」

「こんなに人を好きになるのは後にも先にも一騎だけだ」

「…っ総士!」



耐えきれずにその肩に抱きついた。




「…で、答えを貰えないか?もうはめてしまったが」

「あっごめん、…その、はいっ喜んで!!」

「ありがとう…僕にもはめてくれないか?」




少し大きめの同じ物を手渡した。



「こんな俺だけど…よろしくお願いします」



目に涙を溜めてはめてくれた。

こんな指輪だけではままごとかもしれないが、僕は形式美を尊重したかった。



何か物的な、確実な証拠が欲しかった。




「僕は、何時までも一騎の傍に」

「…俺も傍に…」




そのまま、口付けた。

始めて触れたその唇は、少しかさついていたが、とても柔らかかった。

だから離したくなくてずっと塞いでいたかったが、すぐに苦しくなった一騎が胸を軽く叩いた。
名残惜しくも糸を引きながら離してやると、肩で息をしていた。



「無理をさせてすまない…」

「いや…嬉しかった……」

「次に産まれたら、続きをさせてくれるか?」

「え?」




きょとん、と話に置いて行かれた顔をしていた。


だが次第に頭が理解して、みるみるうちに顔が真っ赤に染まった。

それがどうしようもなく愛しくて。




「覚悟しといてくれ」



心が満たされるのを感じていると、気をつけていなければ聞こえない様な声で、いいよ、と言った。





































夜の帳が下りた。


空には冷たい粒子に磨かれて鮮明に輝く月があった。



僕は再び病院を訪れ、毛布で包んだ一騎を抱いて廃屋へと忍んだ。

当然の事ながら明かり差し込む月明かりだけだった。


捻った水道は、錆びた水が勢いよく出てきて、少しの間出しっぱなしにしておくとそれは透明に変わった。

病院から失敬してきたコップに水を汲み、一騎が取ってきた薬を手にした。



よく見えないので、昔の記憶の配置を頼りに、瓶ごともってきたらしい。
流石に慣れた手付きで僕と自分に薬を配分した。

ザラザラと粒が流れる音を僕は何処か客観的に聞いていた。



「こんなもんか?」

「だいたいで」



そんなもんか?とどこかで聞いた様な受け答えをして、どちらとも無く笑った。




「お別れだな…」

「僕はずっと一緒にいる」

「ありがと…俺は幸せだよ、旦那様」

「それは良かった」



こつん、と肩に寄りかかって幸せそうに目を閉じた。


まだまだ未熟な形だけの夫婦が、そこにいた。




暫くそうしていると、一騎の熱が上がってきたので急いで上体を起こした。



「大丈夫か?」

「まだ、いける…そ…し、顔、みせて…?」



顔を近づければ、息が掛かって。

堪らずまた口付けた。



「んっ…そぅ…」



これが、最期の接吻け。






少し顔色が良くなり、年甲斐も無く『せーの』で大量の薬を流し込んだ。

そうしたら、二人で手をつないで寝転んだ。




暗闇に光る二つの指輪が、月明かりに照らされていた。




「早いな…お前に会って、もう一年なんだな…」

「そう、だな」




あの頃は桜が咲いていたね。




そして其れは青く染まり。



葉を落とし。



全てが眠る冬が来た。








「あ、雪だ」



半壊の建物から見える外は、白い粉雪が降っていた。










今年最初で最後の雪の日。






























君が見た、最後の季節色。