「泣かないで、乙姫?可愛い顔は笑ってないと」



ずっと一騎の胸で泣いていたが、漸く顔を上げた。



「一騎…絶対、良くなったら家に来てね?」

「ああ、もちろんだよ」

「総士のこと嫌いじゃない?」

「乙姫も総士も、嫌いなわけないじゃないか」

「じゃあ、総士のお嫁さんになってくれる?」

「…え?」




突然の言葉に反応が遅れてしまった。



「元気になったらでいいの!お嫁さんになって?そうしたら、一騎は乙姫のおねえさんになるんでしょ?」

「そう、だな…」

「そしたらまた3人で毎日お話できるよ!遊べるよ!」




今、せめてもの約束を取り付けて、安心したいのだろう。

その姿はとても必死で。



「でもな、総士にだって聞かなきゃ…」



俺は全然構わないんだけど、と困った笑みを浮かべると。



「総士だって一騎のこと好きだよ?」

「うん?」

「見てると解るの。だってあんなに幸せそうに笑う総士は初めて見たもん…」



それは乙姫がいるからじゃないのか、という疑問は敢えて口には出さないで。



「そっかぁ…」

「総士も乙姫も一騎が大好きなの!」




だからお願い、と大きな瞳に涙を溜めて見つめれらては、否定の言葉等、出る筈もなく。




「ああ、約束する」

「ほんと!?」



さっきとは打って変わって、花咲く様に笑った。



「ぜったい、ぜーったいだよ?」



一生懸命に指切りをして、きーったと弾む声で言った。



「総士以外の人と結婚しちゃ、駄目だからね?」

「ああ」

「あたしのおねえさんになってね?」

「いいよ。また一緒に色んなことしよう」



その答えに満足したのか、ふふ、と笑った。



「かーずきっ」


ぼふ、と腰にしがみ付いてきた。



「どうした?乙姫」



甘えてくるその姿を眩しそうに見つめて髪をいじった。



「はやく良くなってね?」

「ああ。頑張る」

「あたしまたお見舞いに来るから」

「ありがとう、待ってる」

「一騎が家に来たら、毎日3人で一緒に寝るの!一騎、本を読んで?」

「いいよ。なんでも好きなの持っておいで」



楽しそうに未来に思いを馳せる乙姫に、一瞬でも自分でその画を思い描いてしまった。



ほんとうに、そうなれたら……いいのに…な。



自分でも先が長くないと解るからこそ、少し前は楽しみなことを極力作らないようにしていた。









きっと、間に合わないから。




なのに、色を知ってしまった。




少しでも、生きたいと















未来を望んでしまった。


















「一騎?…泣いてるの?どっか痛いの?」

「大丈夫、痛くないよ…」



小さな手を伸ばして、撫でてくれるその存在に、本当に救われた。


きっと、あのまま病室に誰も来なかったら、俺はここに未練を思うことも無く消えていっただろう。
そんなのは、とても悲しすぎる。




今なら解る。例え苦しみに満ちた生でも、存在を選びたい。




「ありがとうな、乙姫…」

「一騎くすぐったぁい」

「ごめんごめん…そうだ。これ、乙姫にあげる」

「なになに?」




備え付けの簡易箪笥から、小さな木箱を取り出した。


軽い金属音を響かせて取り出したのは燻銀のネックレス。
そこには二つの指輪が通されていた。
デザインはシンプルだが、細かい装飾が施してあり、A・M H・Mと彫ってあった。




「凄い色だね、これ」



どうやって出すんだろーとまじまじと見つめてきた。



「乙姫、後ろ向いて?」

「こう?」





くるり、と背中を向けたが、気になるのかちらちらと後ろを窺っている。



「これはな、俺の父さんと母さんの指輪なんだ…」

「そうなの?じゃあ宝物だね」

「ああ、俺の唯一の持ち物で、宝物だ。だからこれを乙姫に持っててもらいたいんだ」




駄目か?と言うと同時に乙姫の首に少し重みが増した。



「あたし、に?」

「そう、乙姫に」

「これは一騎の思いででしょ?駄目だよ!」

「俺の思い出だから…持ってて欲しいんだ」

「え、でも…もし失くしちゃったら…」

「乙姫は、大事にしてくれるだろ?俺が退院するまででいいんだ」

「それなら…」

「退院したら、ちゃんと受け取る」




そんな優しい声で言われたら、今度は乙姫が断れなくなってしまった。








乙姫にはああ言ったが、俺は俺が生きた証を残したかったんだ。


この綺麗な世界で、俺の父さんと母さんが出逢って、生きて



俺が生まれて




それを、誰かに…この兄妹に、覚えておいてほしかった。


本当は一緒に埋めて貰おうと看護婦さんに頼もうと思ってたけど。





それじゃあ、勿体無いって気付いたんだ。


この子なら、きっと大切にしてくれるから。



指輪も、思い出も。





「ありがとう、つばき」





そのあどけない瞼に口付けた。








それからすぐに荷物を抱えた総士がやってきて、その日はすぐに帰っていった。









「父さん、母さん…俺を生んでくれて、ありがとう…母さんが言ってたあったかくて幸せなもの、……俺もやっと解ったよ……」



この病室の窓からだと、まるで無限に咲き誇る桜に一人ごちた。



































― キラキラした 夢の島 何処にあるの? ―


































それから早くも2月が経ち。






少し前まで肌寒かった桜の景色に




青い空の元、今では蝉が鳴いていた。




乙姫が退院した後も2日と空けずに来てくれる総士の話しによると、彼女は学校戻って、生活が忙しいらしい。
しかし友達も出来たと聞いて、一騎ははにかんだ。


一騎に逢いたいと、毎日煩いんだと困った様に笑っていた。




そうして月日が経つに連れ、一騎の身体は痩せ衰えていった。
元から青白く、枯れ枝の様だった肢体は、今は輪を掛けて年齢程度には凡そ見えず。


今も無理して笑っているのが解った。
きっと起きているのも辛いのだろう。
前に一騎の元を訪れた時、彼女は寝ていた。



細長い管に繋がれて。


他の日には、音を立てずに病室に入ると、彼女は僕に気付かなかった。



ぼうっとしてたと苦笑ったが、もう彼女の視力は殆ど残っていないのだろう。
隠し通せていない嘘がまた心苦しくなった。


きっと手術に必要な薬を国外から購入するまでに、間に合わない。
もうすぐと医者は言っていたが、今の状況ではあと向こう半年は届かないことは安易に予想できる。



その間も、病は彼女を残酷にも蝕み続け。



ある日、とうとう彼女は咳き込んで、一人で呼吸するのが難しくなった。




「ゲホっ…ぁ…は…そ、ぃ…ぁあッ!」

「一騎!?一騎っ!」




一日の大半をマスクによって助長されて呼吸する。


こんな惨めな姿は見られたくない、と幾度と無く一騎は僕を追い出そうとした。


でも、その瞳や身体から孤独を恐れているのは十分感じ取れて。
大好きな一騎が苦しんでいるのを見ていることしか出来ない自分の無力さにとても腹が立った。


だからこそ、僕は何度嫌い、もう来るな、出ていけといわれても傍を離れなかった。


一騎はその苦しさからか、はたまた僕の言葉にかは定かではないが、時折静かに肩を震わせた。

































早くも季節は、穏やかに夏に終わりを告げた。