世界のどこかにある、どこまでも広く蒼く澄んだ海。


その海の底には竜宮城というお姫様が住む城があり、その周りには地上では幻とされる美しい人魚達がいるという。
そんな夢や幻と言われている人魚の中でも、取り分け美しい尾を持つ可憐な少女がいた。

その少女の名前は一騎。
海の統括者である史彦と紅音の愛娘でもあり、海の至宝とも謳われていた。

そんな一騎は、今日も日常となりつつある竜宮城の乙姫の所へ遊びに行く為に泳いでいた。


一騎は同族の誰よりも運動能力が高かった。
父の史彦には止められていたが、泳ぎ等では誰にも負けたことが無かった。



もう顔パスで竜宮城の門を通り、乙姫の部屋へと進んだ。



「乙姫ー、入るぞー…ってあれ…?」



いつもなら笑顔で出迎えてくれる部屋の主が、今日は何処にも見当たらなかった。



「つーばきー?いないのか?」



何度呼んでも返事が無いので部屋を出ようとした時、キィ…と音を立てて、壁だと思っていた―――扉が開いた。



「あ、一騎!こんにちわ!グッドタイミングだねっ」



数歩歩いて顔を上げ、一瞬驚いて、それから満面の笑みで言った。



「…そこは扉だったのか‥‥」



気になる疑問は呟いてみれば。

「細かいことは気にしちゃ駄目だよ、一騎」

の一言で片付けられた。



「っていうか乙姫はどこ行ってたんだ?」

「あ、そうそう!はい、一騎」



と手渡されたのは小さな瓶に入ったどどめの色液体だった。



「え…お、俺?何この腐ったワカメみたいな色のは…‥」



引き攣った笑みで冷や汗をかきながらも決して受け取ろうとはしなかった。



「?一騎の為に作ったんだよ」



はい、と笑顔で手渡されてしまっては受け取らない訳にもいかなく。



「ぅえ!?…っあ、はは…ありがとう……」



俺何か気に触る様なことしたかな‥‥と些か失礼な事を思いつつ受け取った。



「それはね、人間になれる薬だよ」

「……へ…?本当…に?」



一瞬、乙姫が何を言ったのか理解出来なかった。
それは歩ける足がない人魚が一度は憧れる陸に行ける様になるもの。



「うん。こないだ一騎が陸に上がってみたいって言ってるの聞いてから、少しずつ研究してたんだ」

「凄いな乙姫っ!完成したのか!?」



色の事等すっかり忘れて、きらきらとした眼差しで乙姫を見た。
少し興奮したからか、頬がほんのり紅く染まってる。



「ううん…所詮素人だから……(一騎可愛いっ!)でも、足を水にぬらしたりしなければ、三日間は人間の姿でいられるよ」

「作っただけでも凄いことだよ!ありがとな、乙姫!」



乙姫の邪念に少しも気付かず、本格的に敬服し、感謝しはじめた。



「いいえー大好きな一騎の為だもの、これ位何てことないよ」

「乙姫…。……でも…これ、何て言うか、凄い色だな…」



作って貰った俺が言うのも何だけど、と現実に戻り、薬を見た瞬間からの感想を言った。



「ちょっと色がね……。何度作っても、その色かパッションピンクの苦酸っぱいのになっちゃたの」

「パッションピンク…(それも嫌だな…)」

「うん。でもそっちは普通の薬の味だよ」

「苦い…のか?」

「良薬は口に苦しっていうでしょ?


それとも、一騎は苦いお薬は苦手かな?」



乙姫のからかい口調に焦った様に口を開いた。



「そ、そんなことないぞ!?寧ろ大好きだしな!」

「そう?それはよかった(それもどうかと思うけど…)」



顔よし、性格よし、スタイルよしときて、誰よりも綺麗な尾を持つと四拍子揃った一騎だが、余り頭は良くなかった……。



「ところで一騎はいつ上に行くの?」

「うーん…今日始めて薬のこと知ったからまだはっきり決めてないんだけど、出来るだけ早く行きたいな」

「そっか。陸は楽しいといいね」

「そうだな」

「でも(色んな意味で)危険がいっぱいだろうから、気をつけてね?」

「ありがとう。でもきっと平気だよ」

「(解ってないなぁ、一騎は…)そうだ。一応これを持って行くといいよ」



と付けられたのは、何てことないただの首飾りだった。



「なに、これ?随分と綺麗だけど…」

「もしもの時のお守り。きっと役にたつよ」

「じゃあ、借りてくな。ありがとう」

「いいえー!帰ってきたら感想、教えてね!」

「うん!じゃあな!」



いつもより数倍早く波を掻き分けて自分の家に帰っていった。