「昔は見えてたし、今も視覚的情報は入ってくるので、多分心の問題なんでしょうけど…」
その震える声を、俺は黙って聞くことしか出来ない。
「みんな、灰色で。
例えば花や景色、見知った物は記憶にある色を当てはめてきっと綺麗なんだろうと思うんです」
綺麗、ただそれだけ。
それ以上でも以下でもない。
「物的感情は、今まで自分が欲しいと思うものさえありませんでした。だって全部くだらないものだったから」
でも、必要な物は用途に応じて少しずつ態度を変えれば大抵は手に入った。
興味がない物な上に、更に簡単に手に入る、靡く、そのことがまた僕を可笑しくさせた。
そうやってきて、いつしか僕は自分でも麻痺する程に捩れてしまった。
「でも先生が来た日、久しぶりに景色が鮮明になったんです。
忘れていた色も感情も感覚も、一気に僕に戻って来た。
先生が笑う度に、嬉しくなって苦しくなって、もっと笑って欲しいと思う…以前の僕はこんな事、思いつきもしなかったのに。
でも目が、心が先生を追う度に渇きだけが酷くなって…」
(なんなんだお前は口答えばかりして!)
だって、僕らは……
(あなたこそなんですかっいつもふらふら遊びまわって色んな所に…!私たち本妻家族が世間からがどういう目で見られてるか考えたことがありますか!?)
(そんなくだらない事ばかり考えてるからお前は…)
(くだらない!?よくも言えたものね!ああ、あなたにとっては私たちは所詮肩書きだけの関係ですものね)
(そうやってお前はいつも余計な口を利く!だから子供だって二人も作ってやったろう!!)
…………僕らは望まれてはいないから…、
(!!っ―――あ、あなたは…ほんとうに……っ)
(女子供は黙っていればいいんだ。なのに減らず口ばかり叩いて…)
(もう嫌、もうたくさん!!あたたのきな臭い能弁を聞いてると気が狂ってしまうわ!)
(こっちだってお前の基地外みたいな金きり声にはうんざりなんだ)
だから、僕らは望んではいけないはずなのに
(せいぜい手元に残った中途半端に若い女と年増と、どうぞ宜しくやってくださいな)
(ああ、お前たちの様に重くなくていいわ)
(ええそうね。軽い関係をいつまでも取っ換え引っ換え楽しんでください)
(ちッ…可愛げのない!お前がそんなだから子供らがあんな目でわたしを…あんなろくでもなくなったんだっ)
(家のことをわたし一人に全部押し付けておいて何を今更…あなたのように良い地位に居ることだけが誇りの何様なんていかれてる。
お金だけ入れてるだけで父親顔は止めて頂きたいわ)
「先生が色濃く映るのに。せっかく欲しいのが見つかったのに、
先生はするりと僕の手を抜けていってしまう。
今まで物事に余裕さえ感じていた僕は、焦りを感じて。
焦がれるほど、苦しくて切なくて……
欲しいのに、どうあっても手に入らない。
…気が付けば欲ばかりが膨らんできて、自分だけ見て欲しくて自分だけに笑って欲しいと…」
(さあ総士、お父様に……さようならよ)
(さようなら?)
(そうよ、もうお父様ではなくなるの。家族ごっこはもう終わり)
(ごっこ…)
(最初から無理だったのよ…相容れない。私たちは違うものだから。狂ってる。普通じゃないのよ…常識が通じない。…ああ、乙姫泣かないで。
さっきミルクを飲んだばかりでしょう)
(…もう会えないの?)
(会わなくていいの。あの人はあの人。私は私。そう、いい子ね…そのまま眠っておいでね…聞き分けの無い子は嫌よ)
― ねぇ、ぼくたちは? ―
(…その目は何ですか。総士、あなたまで私を困らせないで。)
(ごめんなさい、母さん)
(解ってくれたらいいの。あなたはあの人みたいにはならないで頂戴ね)
(…はい)
((―最初から望まれては居なかったから当たり前のように居場所なんてなくて。でも痛くても居たくてしょうがなくて、居たかったけど、やっぱり痛かったから。
いろんな物が壊れて、矛盾は矛盾を孕んで、まだ頭の働かない僕は、いよいよ訳が解らなくなった。
だって、むねの辺りが苦しいんだ。
だけどぽっかり穴があいてる気もする。
いっぱい食べてもみたされないし
びょうきじゃないからオイシャサンにもいけないし。
ぼくは、わからない。
どうして?はぼくをぐるぐるした黒の中に引きずり込んでって。
わからないままやっと手をのばしても、
その手はずっとそのまんまだから、しずんで、沈んで。
やっとついたそこは、ぼくが大好きなものがたくさんあった。
やっとついた底には、だれもいないけど、ぼくのだいじな思い出がしずんでた。
ねえ これだけは、おねがいだからひていしないで。
また壊れるのかなってこわくなったけど、ソコは誰も知らない場所だから
ずっと、きれいなまんまだって気付いたんだ。
ふみこませなければ、ぼくがこのままだいじに、よごさなければ
ここだけは、むかしのみんながいるってきづいたんだ。
いつかの出逢いいつかの終わり、歩いても歩いても波で消えてく僕の足跡。
ぼくはここにいて、
残したいけど、
残ることのないぼくのあしあと。
だからぼくは、あるくのをやめた。))
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