その日は学級委員の仕事をやっていた。
総士が俺の部屋に仕事を持ち込むのは珍しい事だった。
「知ってますか?」
総士はいつも突然話し出す。
ノートパソコンに向かい合っていた総士がくるりとこちらを向いた。
「何がだ?」
「先生、結構モテてるんですよ」
「嫌味かこのやろう」
その無駄に整った顔に拳を見舞ってやりたいと思っても、神様は俺にバチを当てないと思う。
「やっぱり気付いてなかった。僕の時も然り、先生は笑顔で人を泣かせるタイプですよ」
「みんなは純粋に慕ってくれてるだけだよ」
誰かさんとは違ってなーと俺は俺で課題作りの手を止めない。
無機質に光るパソコンが、眼精疲労を蓄積していく。
「本当にそう思ってます?」
「あ?」
使っていたパソコンの液晶が閉じられて、俺は思いっきり間抜けな声を出す。
「何すんだよ」
当然不服を申し立てる。
俺は総士とは違って進みが遅いから出来るときにやっておかないと後で自分が痛い目をみるのだ。
「純粋?おかしいですね。僕が牽制してきた奴等は不遜な奴等ばかりでしたよ」
「お、おま…何してんだよ!?」
「何って。僕がそうしなければ今頃先生はそいつ等の淫楽のタネされてましたよ?」
「そんなはず」
あるわけない、とは続かなかった。
「そう思ってるのは先生だけだという事です。他にも教えましょうか?
合法、非合法含むクスリ、麻薬、強姦陵辱、実に楽しそうな話でしたよ。まあ…然るべき処置はしましたけど」
総士の声が遠く聞こえる。
そういえば詳しい内容は聞かされてはいないものの、緊急職員会議があったのは記憶にある。
服もロクに着てないでゴミ同然にゴミ棄て場に放置されていたらしい。
まさかそれが自分絡みだったとは。
「ショックなのは解ります。でも世の中は先生が思ってるよりも歪んだ奴等ばかりなんです」
「なん、で…」
「所詮動物は一度火の付いた欲には勝てません。ですからもっと周りを警戒して下さい」
「…は、なん、かな…もう訳分かんないや……でも、とりあえず礼を言うべき、なんだろうな」
「いえ、礼なんて物は望んでませんよ。ただ、僕も欲がある人だという事を覚えておいて下さいね」
「おっお前もか!」
折角ほんの少しだけ、そこにあるコピー用紙よりも薄いけど信頼出来ると思ったのに。
何故にわざわざ自分から言い出すのか。
なんだこの何十ものショックは。
「ええ。でも履き違えないで下さい。僕は奴等の様な低俗物ではありません」
「何が違うって言うんだ…俺からすればみんな同じ有害物だよ」
田舎に帰ろうかなぁ、なんてやる気なく窓を見る。
「あいつ等は黙って、秘密裏に…そうですね、正しく言えば陥れようとしていた。しかし僕は先生に面と向かって宣言してるじゃないですか」
「…それって余計に悪くないか?」
「悪くないです。僕は好きという感情の下、抱きたいと思う。そこには大事にしたいというこれからの意思も含まれているんです」
「言い切るなよ…」
「あんな奴等の興味本位とは全く違います。
ですから」
何時の間にか、俺の横に移動していた。
「抱かせてください」
触れそうな距離で、囁く。
「だかッ…ば、ばかかお前!」
「このまま僕が何もしないでいて、また襲われる様な話が出てきたら…」
「や、お前に襲われるのも十分怖ぇよ」
「でも先生も、初めても二度目以降もずっと、僕の方がいいでしょう?」
「また無視か」
「大丈夫です。その為に色々と学びましたから」
「都合の悪いことは全部無視か」
にこり、とその場に女子がいたものなら黄色い声援で鼓膜がダメになりそうな程の微笑みでいう。
「お、おま…神童はそんな事を学ぶ為の才能じゃないだろ」
話は噛み合わない上に焦りの余り、どうしても顔が引き攣ってしまう。
だって先日、目の前の奴の見事な誘導尋問?に引っかかり、俺自身、こいつに惹かれているのかも知れないという気持ちと、大人として教師としてのモラルとがごちゃごちゃになって自分でも訳が解らない状態なんだ。
そして俺だけ焦っている内に、気付けば両手は上に纏められているわ、とすんという背中の感触でソファアに押し倒されたという事にやっと気付いたわであれよあれよという間に窮地に立たされていた。
「いや…でも、神童も大人になればただの人って言うじゃないですか。なので折角授かった才を活かせる内に何でも意欲的に取り入れていこうと思いまして」
なんていい心掛けなんでしょうね、まるで生徒の鏡ですね
なんて爽やかに言うが、場所は俺の上から少しとて動いていない。
いや、それよりも生徒の鏡はこんな風紀を乱すようなことはしないだろ。
「事の予備知識もばっちりですし、もし事の最中に不足の事態に遭遇したとしても勘はいい方なので問題なく乗り切れるでしょう。何より、絶対痛くしませんから」
「や、問題多アリだし何を表情変えずにそんなペラペラと…」
そしてまた一体何処からそんな自信が。
誰だ、紳士的だとかほざいた奴は。
どこが紳士的だ
どこがレディーファーストだ
「必ず先生を満足させてあげますから」
これじゃあ
ただの毛並みのいい獣じゃないか。
「い、や…ね?総士の気持ちはよーくね?よーっく、それはもう痛い程に解ったよ?」
実際、ずっと捕まったままの手は痛いし、どうやら俺が下みたいだし、俺の男としてのプライドとかも悲しい位傷ついたしね。
でもここで少しでも隙を見せたら呑込まれてしまう。
この目に捕まったら、きっと最後だ。
そうだ、駄目だ。
何かいい案はないのか。
駄目だ、焦れば焦る程、頭が真っ白になる。
だが首筋に総士の顔が埋まる直前、俺に神が降りた。
「ちょっ…まった、ストップ!終業式まで待つんじゃないのかよ」
皮膚には触れていないものの、ギリギリの所で頭が止まった。
うお、まじ危ねぇ…人間パニックになると簡単な事も出てこないもんなんだな。
「…………」
「総、士?」
止まったまま、今度は動かなくなってしまった。
「先生は、」
俯いたまま話し出した為、その表情は伺えない。
「…嫌ですか」
「そりゃあ…」
「僕が、嫌いですか?」
予想外の問いだった。
何せいつもあんなにも堂々として自信に満ち溢れた言動をしているのだ。
…そりゃあ、多少鬱陶しい所もあるし何だか未だに意味は解らないし何時も飄々としていて喰えないやつだけど
嫌いではない。
これは確信できる。
第一、これは総士が俺に気付かせたんじゃないか。
そうだ。総士が俺の所に来だしてから何かと騒がしい毎日だったけど
今日はどんな話をしようとか、いつも、心のどこかで楽しみにしてる自分がいた。
「嫌いじゃ…ないよ」
俺がそう口を開けば、総士は恐る恐るといった感じで顔を上げた。
「本当に…?」
それは何時もからは想像できない程に、何とも弱弱しい声だった。
「俺は好きでもない奴が毎日遊びに来るのを笑って出迎える程、出来た人間じゃないよ」
言ってから、体中の力が抜けていくのが自分でも解った。
ああ、何てこと。
認めてしまえば、簡単だった。
多分こんなにも大人しい…極端に言ってしまえば怯えてる総士を目の前にして
ただ漠然とどうにかしてあげたいという気持ちで胸が一杯になって、近いままだった頭を抱き寄せてもう一度言った。
「嫌いじゃないよ、総士の事。総士の言ってる様な好きかはまだ解らないけど…俺も、好きだよ」
すらすらと、自分でも驚くほど自然に出てきた言葉に寧ろ関心さえ覚えたが、形のいい頭を撫でながら、結局自分から捕まりに行ってどうするよと心の中で笑った。
でも何故だろう。不思議と今は清々しい気分だった。
「だから、そんな顔するなよ」
そう、なんだか暖かくて擽ったくて、不思議な気分だった。
それでもまだ、総士は離れない。
「僕は、僕には……色が…ないんです」
そのまま話出した為、顔は見えないままだった。