翌日昼休み、予告通り奴は来た。
曰く、小休憩時間は多用で来れないのだそうだ。
いや、別にそんな事は全くと言っていい程全然気にしていないし、忙しいなら本当に無理して来なくてもいいのだが、何故だか謝られてしまった。
そしてお昼を食べて授業に帰っていき、また放課後、空いていれば来るという日が続いた。
総士に付き纏われて、段々と解ってきたことがある。
例えば弁当。
あいつは家事全般がまるでダメらしい。
いつも既製品を食していたし、取れかけのボタンすらそのまま遊ばせていた。
ほぼ全てがこなせても、生活能力が皆無ではなぁ。
例えば髪の毛。
いつも同じ所が気になる位跳ねているので総士流のオシャレかと聞けば
ただの寝癖だったという事。
毎日律儀にそこだけ跳ねるので最初は本人も気にしていたらしいが、いい加減寝癖と格闘する事が面倒になったという。
先生が毎日直してくれないかと言いやがったので、そこの跳ね部分を毟り取ってやろうかと言っておいた。
例えば意外と心配性だという事。
総士の様に生活中の人間関係や物事に巧く立ち回れる奴は大抵他人に興味が無いからだと思ってた。
嫌いな奴はいないよ、その代わり好きな奴もいないけど、ってやつ。
けど俺が怪我をすれば(と言っても大したことないただの切り傷かすり傷)本気で狼狽えやがる。
それはもう、鬱陶しい位に。
二人で怪我をしたこともあった。でもあれはあいつが120%で悪いと思う。
俺の授業中に、ご丁寧にも仮病を使いやがった総士を俺は心配し医務室へ連れて行った。
でも保健医は生憎の留守で。高い戸棚の備品を取ろうと椅子に乗った俺の尻を撫でてくれやがったのだ。
当然俺は一瞬でカッとなり、そのまま不安定な椅子から落下するハメになるはずだったが
落ちる俺を奴が抱きかかえて、結局二人で落ちた。
椅子からずり落ちる時に捻った足首と
打撲と軽い出血。
どう見ても俺のが軽症だが。
血も拭かないまま泣きそうな顔で俺の足を診てくれたとか。
(最終的に患部が気になる程腫れてきて大々的に内出血まで発展した総士を病院まで連れて行ったけど)
珍しくしおらしく謝ってきてたので少し感心したが先生の尻が目の前に合ったら自然と手が伸びてしまったと素直且つストレートに言ってきたので、今度は奴の綺麗な髪をトルネードして軽く引っ張って、次はもっと引っ張るぞと忠告しておいた。
例えば俺が思ってた以上に総士はもてるという事。
総士のコスモ加減を知らない幸せな一般人は、何かと奴に取り入ろうとする。
想いを伝える為に呼び出されることもしばしばある様で。
限りなく近寄りたいと思わせる雰囲気で誘っておいて、自分が定めた境界線から先には絶対に踏み込ませない。
見事なまでの来るもの拒まず去るもの追わずだった。
例えば頭の回転が速く、腹黒い事を考え、影で実行していても、芯は正論を持っているという事。
時折えげつないほどの残酷さを見せる割に、よく聞いてみればちゃんとした訳、理論がある。
それが人にはとても解りにくいので、残念な程にあいつは不器用なんだなって思う。
優等生かと思いきや意外と子供染みていて、その癖どこか冷めている節がある。
本当、読めない奴だと思う。
そんな騒がしいけれど単調な日々が過ぎて、現在七月中旬。
総士が言った期限までは残り約半月ほどある。
最初に会った頃からすれば、俺も総士に慣れたというか大分イメージが変わってきた。
俺に対する気持ちに嘘が無い事も解った。
同時にどれだけ真剣なのかも。
でもそれはきっと勘違いなんだと思う。
思春期特有の思い込みだ。
きっと周りに言い寄ってくる同じ様な奴等には飽き飽きしていて
周りに変わった大人がいた、それがたまたま興味の対象に引っかかったのだろう。
こんな所で足踏みしていても総士の時間が勿体無い。
いつかは、はたと現実に還る日が来るだろう。
それを早めに諭してやるのも教師の役目だと思う。
あいつは素はあんなだけど、色んな人に将来を有望視されている。
凡人代表の俺から見たってそれは明らかだ。
そして総士はそれに応えられる人間だ。
こんなところで、燻ってちゃいけない。
目を覚ましてもらう為には、俺がきつくしなければ。
俺がそんな考えを固め始めた頃、
総士の態度に異変があった。
何時も通り、
そう本当に何時も通りの昼食だった。
二人で食べて、また時間が来れば総士が教室に帰っていくと思ってた。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
いつからだろう。
こいつは自分の昼飯を持って来なくなっていた。
まあ、言い出したのは俺の方だから文句は言わないけど。
だってさ、どうせ一緒に食べるなら大きい弁当箱に二人分詰めれば洗い物も少なくて済むし。
今流行のエコだな、エコ。
うん。
まあそんな他愛も無い昼休みだった。
ところが昼休み終了を告げるチャイムが鳴っても動く気配が全く無い。
いつもなら、また来ますねと気取って出て行くのに。
「総士?授業始まるぞ」
「……今日は行きません」
「は?」
空になった弁当箱を流しに置いて、またテーブルを挟んだ総士の前に座る。
俯いていた顔が、やがて俺を見据えた。
「今日は、行きません」
その顔は 笑っていた。
「行かないって…何だよ」
「言葉の通りです。僕自身授業を休むのは初めてですし、…どうせここの教師達には咎められませんよ」
ああ、まただ。
こいつはどうして時々、こんなにも冷めた顔をするんだろう。
「先生…」
冷めているかと思えばこんなにも熱っぽい目で見てくる。
矛盾している。いや、していない?
……解らない。
ただ、囚われてはいけないと煩い程に警鐘が響いている。
気付けば、頬に手が添えられていた。
「先生…好きです」
それはいつかの告白。
もう一度、同じ言葉がかけられる。
「ま…前も聞いた、よ…」
「先生が頷いてくれるまで、何度でも言います」
何時にない真剣な表情
ああ、やっと気付いた。
俺は 怖いんだ。
怖い反面その言葉が嬉しくて、嬉しい反面、やっぱりどうしても怖くて。
捕まればきっと逃げられない。
それは前から気付いてた。
でも、俺は……?
もっと見てみたいと、その先を 求めてしまって、いる?
テーブルに肩膝を乗せ、俺の頬に触れるだけの距離を保ったまま
艶やかに笑う。
「先生顔真っ赤。可愛い」
「ばっ…ばかやろっ!」
からかわれたとはきっとこの事だ。
ば、と勢いよく宛がわれていた手を跳ね除ける。
ところがその動きを先に読んでいたらしく簡単に手を避ける。
変わりに来たのは、頬に感じる柔らかい感触。
離れていく総士の顔が、やけにゆっくり見えるのは何故だろう。
「ふざけてじゃ、こんなことしませんよ」
「なななななにしてんだ!」
「好きだから何かしらの形で自分の印を残したがる。動物の自然な摂理です」
しゃあしゃあと言ってのける目の前の男は、どうしてか嬉しそうだ。
それが余計に悔しくて、まだ奴の熱の残る頬を力任せに擦った。
「そんなに拭かなくても…肌が痛みますよ」
「構うかっ」
「折角柔らかい肌なんですから」
駄目です、と何時の間にか非常識にもテーブルに腰掛けた総士が俺の腕を抑える。
こいつの表情、言動にそれこそ馬鹿みたいに一々反応してしまう自分が心底憎い。
「さ、触るな!」
「先生」
「なんだ」
もう決めた。決して見てやるもんか。
最後の意地だ。
「そう怒らないでください。決してからかってる訳ではないんです」
「……」
なんか言ってるが、知るもんか。
「先生の態度が最近余所余所しく…というかなんだか考えが間違った方向に行ってるみたいだったんで」
「それで?こんなことしたのか?」
「だって先生僕に諭すような、なんか先生振ろうと頑張ってたじゃないですか」
「振ろうとって…なんでお前はオブラートに包んで物が言えないんだ」
それに俺は事実、先生じゃないか。
「なので軌道修正も兼ね、先生に知ってもらおうと思って」
「何を」
「先生の自分の気持ち」
「…?」
あ、うっかり見ちゃった。
見ないって決めたばっかなのに。
「先生はさっき、どう思いました?」
核心には触れず、あくまで俺に気付かせようとする質問。
じれったい。
「僕に触れられ、何を感じましたか」
巡り巡って、心は俺の根底を映し出す。
その先を望む、臆病な好奇心。
途端に顔中に血が集まるのが解った。
「これでも僕は正直に、真正面から先生に向かってるんです。ですから先生も素直になって下さい」
それを見てから一仕事終えた様なすっきりとしたいい顔で言う。
以前にも増して一枚も二枚も上手なこいつに、なんとも言えない敗北感が募る。
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